呼夢叶夢 毎日上機嫌

    Menu

    呼夢叶夢 毎日上機嫌

    てぃんさぐぬ花大会を応援しています

     
    HOME > 心が傷ついた時、あなたの心が平静に保てるように > あの時の約束、あの時の思いを読み返して見る
     

    おススメ三線

    三線初心者~プロの方まで。カラクイが戻らない滑らない。 オリジナルエレキ三線
    4つの音色が楽しめる三線

    人気ブログランキング

    カラクイ特殊加工エレキ三線

    おススメエレキ三線

    スポンサーリンク

    スポンサーリンク

    YouTube講座

    沖縄の魅力を発信しよう
    YouTubeアフィリエイト講座

    スポンサーリンク

    指笛が出来るようになる動画

    指笛が出来ると何かと便利、楽しくなります。指笛を吹いてみよう!

    女性向け三線

    おススメの三線

    ありがとう愛犬サンバ

    趣味がある暮らし

    ★強化張り本皮三線、女性の方にもおススメ三線 三線選び、三線の購入についてもお気軽にご相談下さいませ。 呼夢三線店 一押しのおススメ三線(初心者から中級者向け三線) 蛇皮が苦手、蛇柄が嫌いという女性向け三線はコチラをお勧めします。

    愛犬物語

    指笛講座

    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    はいさい!一生懸命にブログも1年間続けて良かった。YouTubeも一生懸命続けていて良かったと思うことを今日は投稿しようと思います。

    赤とんぼ飛び直しては元の枝


    1年前に投稿した自分の想いを綴ったブログの記事を読んで、ちょっと気持ちが薄れていたことに気づかされました。さぁ、俺の人生俺がやらねば誰がやるって、最近、思っていたことが1年前にも綴られていました。

    人の心はコロコロと変わりやすいのが心の語源とか?
    変わらないように心に楔を打って初めて変わらぬ芯(こころ)になる。

    ブログっていいですね。
    昔なら手書きで、ブログは他人に見せたくない、自分だけの心のノートだったような気がするけど、今、私にとってのブログは、未来の自分へのエール。未来への自分の笑顔。そして、過去と現在と未来の同じ時空を感じる空間と感じるものかもしれない。

    過去の私のブログは、私の投稿は、三線のこと、犬のことばかり。時々、IT発信のことや沖縄の魅力と感じることを発信していました。今は、私が感じる沖縄の魅力も発信することが増えてきた。

    1年前の今日、私は、下記のような思いを投稿していました。1年前と今も思いは全く変わっていないけど、さらに、今は、強く追加したい思いもある。あの時の思いが色褪せている思いもある。

    下記のブログを読み返して、1年前の自分に出会ったような気がします。

    1年前の私の想いを再現して、過去の私と現在の私が未来の自分へエールを贈ろう。

    ーーーーーーーーーーー1年前の想いーーーーーーーーーーーー

    呼夢三線広め隊


    世界最大級の三線サークルを目指す


    沖縄の三線がきっかけで沖縄愛が全国へ、世界へ広がるきっかけに貢献したい。きっかけを発信し続けたい。

    呼夢叶夢(夢を呼び夢を叶える訓練場)

    上江田武信

    私は50歳の時に人生を再起動した思いでした。失くないものも沢山手放しました。最愛の母も亡くなりました。そんな時も、どんな時も、心の中から産まれた夢を語り始めようと思うようになりました。未来の家族の為に、未来の自分の為に。

    BGMは三線音色、沖縄の歌、てぃんさぐぬ花を唄いながら。
    これからは心の中から産まれた夢、アイディアをブログで綴っていきます。
    先行者利益:苦しかったけど、挫けそうになったけど、自分の夢を信じて、芯の棒が折れないように、訓練しました。はい、YouTubeはそんな私の夢を応援していることを感じたからです。
    呼夢叶夢のブログへ夢を、未来の笑顔を綴りはじめます。


    呼夢三線広め隊

    ◯三線との出会い
    私は、沖縄生まれ、沖縄育ちのです。三線の音色、沖縄民謡は、生まれながらにして、日常の生活の一部でした。私が子供の頃は、ラジオ、テレビでも毎日のように娯楽が少ない時代でもありましたから、沖縄芝居などもよくオバーに連れらて見ていました。

    そんな良い環境で生まれ育っているのに、当時は三線にもあまり興味はありませんでした。その後、沖縄を離れて、横浜で30年あまり長い歳月根を張って暮らして、里帰りの際に、那覇空港で流れていた、てぃんさぐぬ花の歌に心洗われる思いがしました。

    時、50歳。丁度何かを始めたいと思っていたグッド・タイミングの時でもありました。私の心にスイッチ音(ON)したのが、てぃんさぐぬ花でした。

    それから、間もなく、余命半年と宣告された母との想い出作りがはじまったのです。


    ◯世界へ発信しようと思った理由 発信力は行動力

    私は、40歳から今の三線と同じようにパソコン、インターネット、IT発信に夢中になっていました。それが、いつの間にか仕事にもなっていました。

    私が落ち込んだ時、苦しい時、悲しい時、辛い時、寂しい時に奏でた三線の音色は、いつも私に不安な雑念を遮断して、笑顔になるような夢を見させてくれました。

    上江田武信

    少々、IT発信には自信がある私だ。(本人の思い込み)俺ならできる。長い歳月、沖縄の人たちを心躍らせた、励ました沖縄の音色を世界へ発信しようと、三線を始めたばかりなのにそう思うようになりました。

    その一念をYouTubeに想いを託して投稿すること1600本以上の動画。成功は人を雄弁にするというけど、私は、大ピンチの時にこそ、夢を、想いを語り雄弁になるべきだと、弱い自分の心に言い聞かせました。呼夢三線広め隊、世界中に10,000人で大演奏をしたら、きっと、ギネスだと思います。

    ◯私の使命 残りの命の使い方

    三線を手にしてから、私の根本的な考え方が大きく変わりました。始めたばかりの三線なのに、いつもワクワク・ドキドキする夢を抱くようになりました。

    夢が膨らむことと反比例して、経済が苦しくなってきた。その時に、感じたことが、お金では買えない価値を産み出そうとそう思ったのです。
    トコトン、貧乏になってみないと味わうことが出来ない感謝、優さ力を感じないと思ったから、貧乏も苦ではありませんでした。(良くなる前触れを感じながらの辛抱はいくらでもできる。)

    随分と遠回りもしたかもしれないけど、この夢を見るために、実現するために、いろいろな必要な経験を積んできたのだと自分に言い聞かせました。

    50歳からの私の命の使い方という名の使命。物の豊かさから心の豊かさを求める、新しい時代になっていることを感じたのである。


    ◯継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる
    いつの間にか私の口癖からみんなの口癖。その言葉がどれほど私に力を与えてくれたことか。

    言葉は心の真似をする。心も言葉の真似をする。だから、私は、どんなに苦しい時も、ネガティブな発信は、言葉は発しないでおこうと決めました。

    私が口癖のように歌っている歌が、てぃんさぐぬ花の曲に乗せて、継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる。
    そうだ。俺は、俺達は、今までの常識では出来ない、新しい常識で、歴史を作るのだと、自分に暗示をかけるように歌い続けました。
    ◯他喜力を身に付ける
    もし、私が三線を始めた頃、母が涙を流して、喜んでくれなかったら、私はそこまで三線に夢中にならなかったと思います。

    もし、私が世界一大好きな母を喜ばせようと思わなければ、他喜力を発揮できなかったと思います。



    もし、母が遺言のように、見舞いに行く度に、「武信、人生ある切っ掛けで大きなチャンスを手にすることが出来る。その切っ掛けは人それぞれ。母さんは、すぐに人と友達になるキッカケを作るのが得意だった」
    事など、ことあるごとに、私に【キッカケ】の話を良くしていました。親孝行したい一心で、沖縄にUターンした。親孝行がキッカケで三線をはじめた。夢中になった。三線がキッカケでYouTubeに投稿する勇気が出た。今は、その想いを世界へ伝えようと大きなエネルギーが湧いてきています。

    YouTubeがキッカケで、多くの仲間がどんどん増えてきた。出会いが増えた。そして、数年後、人を喜ばせる【他喜力】が徐々に、徐々に身についてきたような気がします。その力を発揮するのはこれからです。
    これからは、多くの素敵な仲間たちと私がまだ一度も感じたことがない、想像もつかない感動を仲間と共に味わいたいと思います。

    上江田武信

    全て50歳からゼロから再起動という脱皮を繰り返してはじめた仕事だけど、
    私の仕事は、夢中なれる、夢中になるものに夢中になることが仕事。
    私の仕事は、大好きなことが仕事。勉強することも仕事。
    私の仕事は、人を喜ばせることが仕事。
    私の仕事は、沖縄の魅力、沖縄の音色を世界中に発信し伝えることが仕事。
    私の仕事は、YouTubeで誰かに勇気を与え、笑顔を増やすことが仕事。
    私の仕事は、ワンちゃんたちと遊ぶことも仕事。
    私の仕事は、人が羨むほど遊ぶ、学び気づきが仕事。
    私の仕事は、1000人に私と同じように(それ以上)沖縄の魅力を発信出来る人を育てることが仕事。
    私の仕事は、〇△□■◆※%&!” いつか語ります。(ひみつ)
    そんなことをして傍楽(まわりをたのしくして)働こうと思う。
    私の使命は、沖縄の音色を束にして一万人で奏でる、歌う、夢を実現させることが仕事

    ひとり十役を目指して。
    呼夢三線広め隊

    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、母との心の繋がりになるまるで讃美歌のような歌です。
    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、私の口癖です。
    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、私の人生の生き方そのものです。




    今日が人生最後の日
    時々、そんな意識も必要かなと思う。そんな意識で出会ったり、語ったり、働いてみたり、ブログに書いてみたり、優しくしたり。

    呼夢三線広め隊


    世界最大級の三線サークルを目指す


    沖縄県 代表十役 上江田武信(うえたたけのぶ)
    呼夢叶夢(夢を呼び夢を叶える訓練場)

    上江田武信

    私は50歳の時に再起動しました。全てを失いましたが心の中から産まれた夢を語り始めました。
    BGMは三線音色、沖縄の歌、てぃんさぐぬ花を唄いながら。
    これからは心の中から産まれた夢、アイディアをブログで綴っていきます。
    先行者利益:苦しかったけど、挫けそうになったけど、自分の夢を信じて、芯の棒が折れないように
    訓練しました。はい、YouTubeはそんな私の夢を応援していることを感じたからです。
    呼夢叶夢のブログへ夢を、未来の笑顔を綴りはじめます。


    呼夢三線広め隊

    ◯三線との出会い
    私は、沖縄生まれ、沖縄育ちのです。三線の音色、沖縄民謡は、生まれながらにして、日常の生活の一部でした。私が子供の頃は、ラジオ、テレビでも毎日のように娯楽が少ない時代でもありましたから、沖縄芝居などもよくオバーに連れらて見ていました。

    そんな良い環境で生まれ育っているのに、当時は三線にもあまり興味はありませんでした。その後、沖縄を離れて、横浜で30年あまり長い歳月根を張って暮らして、里帰りの際に、那覇空港で流れていた、てぃんさぐぬ花の歌に心洗われる思いがしました。

    時、50歳。丁度何かを始めたいと思っていたグッド・タイミングの時でもありました。私の心にスイッチ音(ON)したのが、てぃんさぐぬ花でした。

    それから、間もなく、余命半年と宣告された母との想い出作りがはじまったのです。


    ◯世界へ発信しようと思った理由 発信力は行動力

    私は、40歳から今の三線と同じようにパソコン、インターネット、IT発信に夢中になっていました。それが、いつの間にか仕事にもなっていました。

    私が落ち込んだ時、苦しい時、悲しい時、辛い時、寂しい時に奏でた三線の音色は、いつも私に不安な雑念を遮断して、笑顔になるような夢を見させてくれました。

    上江田武信

    少々、IT発信には自信がある私だ。(本人の思い込み)俺ならできる。長い歳月、沖縄の人たちを心躍らせた、励ました沖縄の音色を世界へ発信しようと、三線を始めたばかりなのにそう思うようになりました。

    その一念をYouTubeに想いを託して投稿すること1600本以上の動画。成功は人を雄弁にするというけど、私は、大ピンチの時にこそ、夢を、想いを語り雄弁になるべきだと、弱い自分の心に言い聞かせました。呼夢三線広め隊、世界中に10,000人で大演奏をしたら、きっと、ギネスだと思います。

    ◯私の使命 残りの命の使い方

    三線を手にしてから、私の根本的な考え方が大きく変わりました。始めたばかりの三線なのに、いつもワクワク・ドキドキする夢を抱くようになりました。

    夢が膨らむことと反比例して、経済が苦しくなってきた。その時に、感じたことが、お金では買えない価値を産み出そうとそう思ったのです。
    トコトン、貧乏になってみないと味わうことが出来ない感謝、優さ力を感じないと思ったから、貧乏も苦ではありませんでした。(良くなる前触れを感じながらの辛抱はいくらでもできる。)

    随分と遠回りもしたかもしれないけど、この夢を見るために、実現するために、いろいろな必要な経験を積んできたのだと自分に言い聞かせました。

    50歳からの私の命の使い方という名の使命。物の豊かさから心の豊かさを求める、新しい時代になっていることを感じたのである。


    ◯継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる
    いつの間にか私の口癖からみんなの口癖。その言葉がどれほど私に力を与えてくれたことか。

    言葉は心の真似をする。心も言葉の真似をする。だから、私は、どんなに苦しい時も、ネガティブな発信は、言葉は発しないでおこうと決めました。

    私が口癖のように歌っている歌が、てぃんさぐぬ花の曲に乗せて、継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる。
    そうだ。俺は、俺達は、今までの常識では出来ない、新しい常識で、歴史を作るのだと、自分に暗示をかけるように歌い続けました。
    ◯他喜力を身に付ける
    もし、私が三線を始めた頃、母が涙を流して、喜んでくれなかったら、私はそこまで三線に夢中にならなかったと思います。

    もし、私が世界一大好きな母を喜ばせようと思わなければ、他喜力を発揮できなかったと思います。



    もし、母が遺言のように、見舞いに行く度に、「武信、人生ある切っ掛けで大きなチャンスを手にすることが出来る。その切っ掛けは人それぞれ。母さんは、すぐに人と友達になるキッカケを作るのが得意だった」
    事など、ことあるごとに、私に【キッカケ】の話を良くしていました。親孝行したい一心で、沖縄にUターンした。親孝行がキッカケで三線をはじめた。夢中になった。三線がキッカケでYouTubeに投稿する勇気が出た。今は、その想いを世界へ伝えようと大きなエネルギーが湧いてきています。

    YouTubeがキッカケで、多くの仲間がどんどん増えてきた。出会いが増えた。そして、数年後、人を喜ばせる【他喜力】が徐々に、徐々に身についてきたような気がします。その力を発揮するのはこれからです。
    これからは、多くの素敵な仲間たちと私がまだ一度も感じたことがない、想像もつかない感動を仲間と共に味わいたいと思います。

    上江田武信

    全て50歳からゼロから再起動という脱皮を繰り返してはじめた仕事だけど、
    私の仕事は、夢中なれる、夢中になるものに夢中になることが仕事。
    私の仕事は、趣味が仕事。趣味が仕事。
    私の仕事は、人を喜ばせることが仕事。
    私の仕事は、沖縄の魅力、沖縄の音色を世界中に発信し伝えることが仕事。
    私の仕事は、YouTubeで誰かに勇気を与え、笑顔を増やすことが仕事。
    私の仕事は、ワンちゃんたちと遊ぶことも仕事。
    私の仕事は、人が羨むほど遊ぶ、学び気づきが仕事。
    私の仕事は、1000人に私と同じように(それ以上)沖縄の魅力を発信出来る人を育てることが仕事。
    私の仕事は、〇△□■◆※%&!” いつか語ります。(ひみつ)
    そんなことをして傍楽(まわりをたのしくして)働こうと思う。
    私の使命は、沖縄の音色を束にして一万人で奏でる、歌う、夢を実現させることが仕事

    ひとり十役を目指して。
    呼夢三線広め隊

    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、母との心の繋がりになるまるで讃美歌のような歌です。
    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、私の口癖です。
    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、私の人生の生き方そのものです。




    呼夢三線広め隊


    世界最大級の三線サークルを目指す


    沖縄県 代表十役 上江田武信(うえたたけのぶ)
    呼夢叶夢(夢を呼び夢を叶える訓練場)

    上江田武信

    私は50歳の時に再起動しました。全てを失いましたが心の中から産まれた夢を語り始めました。
    BGMは三線音色、沖縄の歌、てぃんさぐぬ花を唄いながら。
    これからは心の中から産まれた夢、アイディアをブログで綴っていきます。
    先行者利益:苦しかったけど、挫けそうになったけど、自分の夢を信じて、芯の棒が折れないように
    訓練しました。はい、YouTubeはそんな私の夢を応援していることを感じたからです。
    呼夢叶夢のブログへ夢を、未来の笑顔を綴りはじめます。


    呼夢三線広め隊

    ◯三線との出会い
    私は、沖縄生まれ、沖縄育ちのです。三線の音色、沖縄民謡は、生まれながらにして、日常の生活の一部でした。私が子供の頃は、ラジオ、テレビでも毎日のように娯楽が少ない時代でもありましたから、沖縄芝居などもよくオバーに連れらて見ていました。

    そんな良い環境で生まれ育っているのに、当時は三線にもあまり興味はありませんでした。その後、沖縄を離れて、横浜で30年あまり長い歳月根を張って暮らして、里帰りの際に、那覇空港で流れていた、てぃんさぐぬ花の歌に心洗われる思いがしました。

    時、50歳。丁度何かを始めたいと思っていたグッド・タイミングの時でもありました。私の心にスイッチ音(ON)したのが、てぃんさぐぬ花でした。

    それから、間もなく、余命半年と宣告された母との想い出作りがはじまったのです。


    ◯世界へ発信しようと思った理由 発信力は行動力

    私は、40歳から今の三線と同じようにパソコン、インターネット、IT発信に夢中になっていました。それが、いつの間にか仕事にもなっていました。

    私が落ち込んだ時、苦しい時、悲しい時、辛い時、寂しい時に奏でた三線の音色は、いつも私に不安な雑念を遮断して、笑顔になるような夢を見させてくれました。

    上江田武信

    少々、IT発信には自信がある私だ。(本人の思い込み)俺ならできる。長い歳月、沖縄の人たちを心躍らせた、励ました沖縄の音色を世界へ発信しようと、三線を始めたばかりなのにそう思うようになりました。

    その一念をYouTubeに想いを託して投稿すること1600本以上の動画。成功は人を雄弁にするというけど、私は、大ピンチの時にこそ、夢を、想いを語り雄弁になるべきだと、弱い自分の心に言い聞かせました。呼夢三線広め隊、世界中に10,000人で大演奏をしたら、きっと、ギネスだと思います。

    ◯私の使命 残りの命の使い方

    三線を手にしてから、私の根本的な考え方が大きく変わりました。始めたばかりの三線なのに、いつもワクワク・ドキドキする夢を抱くようになりました。

    夢が膨らむことと反比例して、経済が苦しくなってきた。その時に、感じたことが、お金では買えない価値を産み出そうとそう思ったのです。
    トコトン、貧乏になってみないと味わうことが出来ない感謝、優さ力を感じないと思ったから、貧乏も苦ではありませんでした。(良くなる前触れを感じながらの辛抱はいくらでもできる。)

    随分と遠回りもしたかもしれないけど、この夢を見るために、実現するために、いろいろな必要な経験を積んできたのだと自分に言い聞かせました。

    50歳からの私の命の使い方という名の使命。物の豊かさから心の豊かさを求める、新しい時代になっていることを感じたのである。


    ◯継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる
    いつの間にか私の口癖からみんなの口癖。その言葉がどれほど私に力を与えてくれたことか。

    言葉は心の真似をする。心も言葉の真似をする。だから、私は、どんなに苦しい時も、ネガティブな発信は、言葉は発しないでおこうと決めました。

    私が口癖のように歌っている歌が、てぃんさぐぬ花の曲に乗せて、継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる。
    そうだ。俺は、俺達は、今までの常識では出来ない、新しい常識で、歴史を作るのだと、自分に暗示をかけるように歌い続けました。
    ◯他喜力を身に付ける
    もし、私が三線を始めた頃、母が涙を流して、喜んでくれなかったら、私はそこまで三線に夢中にならなかったと思います。

    もし、私が世界一大好きな母を喜ばせようと思わなければ、他喜力を発揮できなかったと思います。



    もし、母が遺言のように、見舞いに行く度に、「武信、人生ある切っ掛けで大きなチャンスを手にすることが出来る。その切っ掛けは人それぞれ。母さんは、すぐに人と友達になるキッカケを作るのが得意だった」
    事など、ことあるごとに、私に【キッカケ】の話を良くしていました。親孝行したい一心で、沖縄にUターンした。親孝行がキッカケで三線をはじめた。夢中になった。三線がキッカケでYouTubeに投稿する勇気が出た。今は、その想いを世界へ伝えようと大きなエネルギーが湧いてきています。

    YouTubeがキッカケで、多くの仲間がどんどん増えてきた。出会いが増えた。そして、数年後、人を喜ばせる【他喜力】が徐々に、徐々に身についてきたような気がします。その力を発揮するのはこれからです。
    これからは、多くの素敵な仲間たちと私がまだ一度も感じたことがない、想像もつかない感動を仲間と共に味わいたいと思います。

    上江田武信

    全て50歳からゼロから再起動という脱皮を繰り返してはじめた仕事だけど、
    私の仕事は、夢中なれる、夢中になるものに夢中になることが仕事。
    私の仕事は、趣味が仕事。趣味が仕事。
    私の仕事は、人を喜ばせることが仕事。
    私の仕事は、沖縄の魅力、沖縄の音色を世界中に発信し伝えることが仕事。
    私の仕事は、YouTubeで誰かに勇気を与え、笑顔を増やすことが仕事。
    私の仕事は、ワンちゃんたちと遊ぶことも仕事。
    私の仕事は、人が羨むほど遊ぶ、学び気づきが仕事。
    私の仕事は、1000人に私と同じように(それ以上)沖縄の魅力を発信出来る人を育てることが仕事。
    私の仕事は、〇△□■◆※%&!” いつか語ります。(ひみつ)
    そんなことをして傍楽(まわりをたのしくして)働こうと思う。
    私の使命は、沖縄の音色を束にして一万人で奏でる、歌う、夢を実現させることが仕事

    ひとり十役を目指して。
    呼夢三線広め隊

    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、母との心の繋がりになるまるで讃美歌のような歌です。
    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、私の口癖です。
    私にとってのてぃんさぐぬ花の歌は、私の人生の生き方そのものです。


    次の記事 前の記事
    時間の不思議 時間の価値 時間が時間を生み出す ちょっとfacebookから遠ざかってみる。
    バナー
    コメント
    コメントの投稿
    • URL
    • コメント
    • パスワード
    • 秘密
    • 管理者にだけ表示を許可する
    トラックバック
    トラックバックURL:http://3438.jp/tb.php/490-8c553477